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貞山運河と歴史

貞山運河とは

政宗公を源流に、
受け継がれた長大な遺産

北は塩竈湾から南は阿武隈川河口まで、仙台湾に寄り添うように横たわる貞山運河。
江戸時代初期から明治時代半ばにかけて開削された「木曳堀 ( こびきぼり )」 「御舟入堀 ( おふないりぼり )」「新堀 ( しんぼり )」という3つの堀で構成されています。
総延長は、日本最長の約31.5km。
松島湾を挟んで北側に位置する 「東名運河」「北上運河」を含めた運河群として考えると、その総延長は46.4kmにも及びます。

伊達政宗とも縁が深く、貞山運河の「貞山」という名称は、仙台藩初代藩主・伊達政宗公の法名である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)」に由来。

司馬遼太郎の『街道をゆく』でも「これほどの美しさでいまなお保たれていることに畏敬を持った」との言葉を残しています。

木曳堀 - こびきぼり ~阿武隈川と名取川を結ぶ~

阿武隈川河口荒浜から名取川河口閖上までの15km。
400年前の関ヶ原の戦いの最中に開削が進行していたという、貞山運河で最も古い木曳堀。阿武隈川の水を運び、やがて、増田川の河口潟である広浦と合流する。
湿地帯はヨシ原が広がり、野鳥や昆虫など生き物の宝庫。昔から人々の暮らしにも身近だった。

御舟入堀 - おふないりぼり ~七北田川河口と塩釜港を結ぶ~

御舟入堀は、かつて七北田川の河口と塩釜港を結んでいた。結んで「いた」なのは、1967年から始まった仙台新港の建設によって、七北田川の河口から蒲生北部が埋め立てられたからだ。現在は、砂押川の河口付近から塩釜港までになっている。

新堀 - しんぼり ~名取川と七北田川を結んでいた~

蒲生から閖上までの9.5km。
長い年月をかけて植えた松林が広がっていたが、津波によって木が倒れ、地面がひらけ、新浜のありのままの自然が明らかになった。自然が残る新堀には、多様な生き物が暮らしている。冬の夕方には、ガンやカモなどの渡り鳥が井土浦に戻ってくるという原生的な自然を楽しめる。

貞山運河の歴史

  1. 1615年 ( 慶長20年 ) ~ 1624年 ( 寛永元年 ) 頃

    貞山運河の中で一番初めとして「木曳堀」が開削される。

  2. 1664年 ( 寛文4年 ) ~ 1673年 ( 寛文13年 )

    仙台藩四代藩主綱村公により、9年の歳月を要し「御舟入堀」が完成。

  3. 1878年 ( 明治11年 ) ~ 1882年 ( 明治15年 )

    「新堀」として、1878年に建設が始められ1881年 ( 明治14年 ) に未完成ながら工事に影響なしとして船の航行が認められた。1882年に工事が完了。

  4. 1883年 ( 明治16年 )

    木曳堀、御舟入堀、新堀の大改修工事が行われる。工事を指揮した早川智寛土木課長が、「貞山堀」と命名。

  5. 1889年 ( 明治22年 )

    「運河取締規則」により、「貞山運河」を公的名称に定める。

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