第22号
貞山運河水中地形調査結果発表
瓦礫は確認されず
仙台市若林区海浜エリア活性化企画室
震災から13年、津波で甚大な被害を受けた貞山運河、護岸工事はされましたが水中には手を加えられずに今に至っていました。瓦礫や水草、藻がどのような状態なっているのかは会員の知りたいところです。
仙台市では貞山運河の新堀で、舟運やカヌー・ゴムボートなど、水に親しんでもらうことを目的に今の状態はどうなっているのかを調査してきました。その結果を2月8日に発表しました。
調査は令和5年9月7日~8日の2日間、新堀(七北田川南水門~若林区名取川河口部)約9.5キロ間で行いました。
調査はソナー(魚群探知機)を備えた小型ボートで運河を数回往復して調べました。
運河の水位は潮の満ち引きや天候などの影響で変化します。このため最も水位が高い時と最も低い時の
中間の水位で数字を出しました。
この結果概ね全域で1.5m~2mの水位であるこ
とが確認されました。ただし川砂が堆積しやすい名取川河口部や井戸浦付近などの用水流入部など数か所では水深の浅い箇所が見られました。
震災の影響で心配された瓦礫や堆積物は確認されませんでした。
ただし、深沼~岡田間には藻が繁茂しておりスクリューへ絡まるのではないかと懸念されます。
運河自体は宮城県、一部国交省が管理し護岸は自治体が管理しています。そのため新堀一帯の利活用のためには仙台市と宮城県、国土交通省が一体となって進めていく必要があります。そのため課題は国や県と共有します。
仙台市若林区海浜エリア活性化企画室では親水 護岸整備や藤塚地区の海岸公園整備に向けこれからも実証・検討を行っていくということです。
新会員に聞く
親の実家が岩手県の沿岸地方山田町であったせいか昔から水には親しみがありました。
今は長い会社員生活を終え静かに自然に触れる生活をしていますが、やはり海や山など自然が好きです。広瀬川も随分散策しました。自転車や自動車で広瀬川の様々なところを巡り名取川との合流地点まで行ったこともあります。川風が頬を撫で、緑豊かな景色も目に優しいです。
仙台市政だより掲載のイベントにもよく参加します。昨年5月、仙台市若林区海浜エリア活性化企画室主催の「Eボートに乗ろう」というイベンが荒浜の海浜公園センターハウスでありました。小さなボートに6~7人乗りあうのですが子供たちの喜ぶ声を聞きながら30~40分ゆっくりと静かに運河を巡りました。陸地から眺める運河と水面から見る運河は違います。そして老若男女がひととき同じ時間を共有した思いもいいものです。感激しました。
また別の機会で東北学院大学、平吹教授の解説で新浜タワー付近を巡ったときも丁寧な解説でより深く植生を知ることができました。タワーもオブジェも興味を引くものでした。
このような中で今回貞山運河ネットと出会い仲間に入れていただきましたこと嬉しく思います。単に自然を観賞するだけでなくこれからは当ネットで社会のために有用な活動ができると思えば喜びも一入です。どうぞよろしくお願い致します。
理事会を開催します
3月27日(水)13時30分~15時30分開催。事務局の入るビル(仙台市青葉区一番町2-5-22GC青葉通りプラザ地階)で行います。ご希望の方はご来場ください。準備の都合上事務局までご連絡ください。会計状況、本年度総括など
貞山運河ひとくちメモ
「貞山」命名の由来は?
☞伊達政宗公の法名「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」がその由来です。名付けたのは明治16年頃から木曳堀、御舟入掘、新堀の大改修工事を指揮した宮城県土木課長の早川智寛です。早川は政宗公の偉業を讃え「貞山堀」と命名しましたが1889(明治22)年に定められた「運河取締規則」により宮城県は「貞山運河」を公的名称にしました。
貞山運河はどこからどこまで?
☞阿武隈川河口から塩釜港までの運河31.5㎞です。日本最長です
貞山運河の3つの堀はいつできたの?
☞貞山運河は木曳堀、御舟入掘、新堀から成っていますがそのできた順序は
1.木曳堀は「慶長年間」1610年頃と言われています。
2.御舟入掘は1673(寛文13)年完成
3.新堀は1872(明治3)年完成
貞山運河は約260年を経て今の姿になっています。貞山運河にかけた先人の思いが偲ばれます。
発行 (一社)貞山運河ネット 事務局 仙台市青葉区一番町2-5-22 GC青葉通り ビル ㈱プランニングオフィス社内 MAIL:teizanunga@p-office.co.jp ☎ 022-262-2322 FAX022-266-9418 |
個人会員目標 150名(現在44名)