第43号
コメ運びを行いました
第3回目となる今年のコメ運びは10月28日(火)北上川と旧北上川の分流点脇谷閘門から出発しました。
計画では26日(日)でしたが風雨のため予備日で実行したものです。

旧北上川は時折水面に水鳥が一斉に青い空に飛び立つ姿が印象的でした。
石巻市付近に差し掛かると左岸に石巻専修大学も見え無事石井閘門に着きました。
当日旧北上川は穏やかで約2時間の航行でした。
石巻~多賀城の貞山公園は10月30日(木)に行われました。
9時に石井閘門を出発した舟の船頭さんは石巻観光協会の阿部常務。運河の底には凸凹があります。
高校ヨット部で監督をしている同氏の高きを避け低きを進むハンドルさばきは安定感がありました。

北上運河→東名運河→松島湾→御舟入堀を経て多賀城市まで向かいました。
上の写真はドローン空撮家の熊谷会員が鏡のような松島湾でドローンを飛ばした時のものです。出来上がりが楽しみです。
舟は松島湾の養殖場の杭を避けながら航行し漁船や貨物船が波止場に見えるとやがて御舟入堀に入りました。
御舟入堀では貞山運河御舟入堀プロジェクトの方々が出迎えてくれました。

コメ俵は乗船した本宮理事から陸上の武田会長に手渡され多賀城の貞山公園に陸揚げされました。
11月3日(祝月)はいよいよ名取市閖上のかわまちてらす閖上でコメの振る舞いが行われました。
10時30分にはそのコメ俵を受け取りに御舟入堀が結節していた七北田川対岸に舟は向かいます。

普段は閉められている水門はこのために開けていただきました。
水門を超え新堀方面から七北田川対岸に舟は向かいます。

11時40分に海岸公園センターハウスで七郷小学校の児童と保護者を乗せ会場に向かいます。
川堤に立ち並び待ち受ける人々の中、舟は船着き場に到着。
共催の「NPO法人ひたかみ水の里」のめだかっこクラブで活動する小学生と中学生も加わり登米市立登米小学校と津山小学校児童の作ったコメを1袋づつ手渡しました。
今回は堤に居並ぶ方々に着岸するまでの間チラシをもとに貞山運河の簡単な説明を行いました。

この模様は仙台放送と読売新聞で報道されましたがニュースの中で「運河のことを調べてみたい」と語った方もいらっしゃいました。
月刊りらく12月号でも掲載されました。

寒風沢視察・研修に参加
事務局では御舟入堀プロジェクトの主催する寒風沢視察・研修に参加しました。
同会では貞山運河を中心とする観光資源化を企図していますが今回その一環として松島湾に浮かぶ最大の島、寒風沢の視察・研修を行ったものです。

同島は御舟入堀とは切っても切れない関係があります。藩政時代大型船で運ばれてきたコメなどはここで小型船に乗り換え御舟入堀に運ばれたとされています。
言わば海上輸送の中継点でした。船の運航上風向きがよく、深水もあることがその理由です。
我々は塩竃市営の船に乗り島々を経由して寒風沢に渡りました。
ガイドはこの島をこよなく愛する鈴木宏明氏。手順よく島の歴史や現状を解説してくださいました。
最初に訪れたのは江戸時代東北で最初に西洋式木造軍艦「開成丸」が作られた造艦碑です。
また湾内には同島を含め3か所に砲台がありました。その砲台跡もありました。異国の艦をここで撃ち負かそうと・・・眺望の良い場所でした。

神社、神明社には鐘楼と鐘が残っていました。神社に鐘とはあまり見られない光景です。
明治新政府の神仏分離令(神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させること。ウキペデイア)も同島では無縁だったのでしょうか。
江戸時代の水夫、津太夫が難破し結果的に世界一周しましたが津太夫は同島出身でその子孫がいらっしゃいました。農業と宿泊・集会所管理人としてご活躍中でした。
寒風沢は初めて訪れましたが歴史的にも大事な地であることがわかりました。
また緑に覆われたロマンチックな道もある魅力ある島でした。この地で婚活パーティーが行われたのもうなずけます。
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