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第23号

第2回貞山運河歴史セミナー開催

 今回で2回目となる貞山運河歴史セミナーは2月23日(金祝)開催されました。内容詳細は「りらく4月号」44~47ページ参照。
 会場の名取市文化会館は大きなガラスの建物で音響効果にも優れています。開場の1時前からロビーに人々が集まり急遽開場時刻を早めました。聴衆は宮城県のほか岩手県、福島県などから総員312名と前回を超える人気セミナーとなりました。

(熱心にメモを取る人も☝)

3人の演者のトップバッターは当会副会長・フリージャーナリストの大和田雅人氏。

 「貞山運河のいまとこれからのまちづくり」と題して運河の現況とこれからについて講演しました。同氏は震災前のうっそうたる松林と小舟の行き交う運河の写真を掲出しながら日本一長い貞山運河の昔の姿を聴衆に思い起こせました。震災から13年を経て「かわまちてらす閖上」や「ゆりあげ港朝市」が活況を呈し名取市側で遊覧船が周遊し、伝統の東北大ボート部が戻ってきた話題を提供しました。
 そして今、名取市と仙台市は運河を結んで遊覧船を乗り入れるプランが始動したこと、仙台市の水中地形調査が行われたこと、当会では宮城県にしゅんせつと水の環境浄化を要望したこと、若林区藤塚を起点とする「かわまちづくりプロジェクト」が始動し国交省・仙台市共同で親水護岸、渡し船、カヌーの発着所、全天候型遊び場などを4年後に完成させることなど明るい希望の持てる内容のお話でした。

2番目の登壇は元仙台市史編さん室長菅野正道氏の「仙台城下を支えた閖上湊」。

 鎌倉から戦国時代にかけて「小湊」というところが確認できる資料があり閖上付近の可能性がある。また亘理郡と名取郡北目の間でコメの輸送が行われていたことを推測させる資料がある。荒浜とゆりあげの海路を結んで運送していたと考えられる。戦国時代末期には閖上が交易の湊だった状況を推測できる。
 江戸初期には仙台城下への物資輸送の中継地点として機能したことが確認できる。
 政宗公は閖上を仙台城下の外港と位置付けていた。そして仙台を整備する際には七郷堀を整備し若林城築城に際しては新たに六郷堀を開削した。これらのことから政宗公は閖上から名取川・広瀬川と続く水運を舟丁で七郷堀・六郷堀と接続させ仙台城下の東部の水運ネットワークを整備することを構想していたのではないか。しかし整備前に政宗公が没したことと広瀬川が水運に適していないことなどからこの構想は完成しなかったと推測される。
 木引堀は仙台城や城下の整備に用いる木材を阿武隈川や白石川流域から供給、運送するために建設されたものと推測される。木引堀はもともとあった自然の潟湖や湿地、小河川をつないで作られたことを示唆している。木引堀の開削は仙台城や城下の第1期建設が終了した慶長7年(1602年)以降に着手されたと推測される。
 閖上は仙台城下の建設が少なくなった後は漁港としての機能が重要視されるようになる。しかし閖上は木引堀の起点という性格もあり物流の結節点としての性格は持ち続け仙台藩は閖上の集落を宿場町に指定している。
 貞山運河関係の第一人者と言われる菅野氏の話には深い学識が伺われました。

3番目の登壇はさいたま市文化財保護課学芸員の井上拓巳氏の「江戸時代の閖上湊と東廻り海運」。

 江戸時代は全国的に海運が発達した。東北地方と江戸・大阪を結ぶ東廻り航路と西廻り航路が主要な航路であった。東廻り航路では仙台藩をはじめとする東北諸藩の廻米や幕府の城米輸送が活発に行われた。閖上湊も東廻り航路の湊の一つ。
 江戸時代初期には藩主がたびたび訪れていた。仙台藩では年間10~30万石程度の江戸廻米を実施し仙台藩の財政を潤していた。仮に20万石と仮定すれば800石の廻船だと250艘が必要となる。石巻をはじめ領内の廻船が必要で閖上船なども廻船に従事していた。閖上船は仙台藩廻米だけでなく幕府城米輸送や他藩廻米に従事した。
 仙台藩には各地に湊があったが存在感の大きかったのは北上川河口の石巻、阿武隈川河口の荒浜で廻米の積み出しが行われた。閖上湊からも行われたと考えられるが不明。
 廻米は当初常陸国那珂湊(現ひたちなか市)、涸沼、北浦経由して内陸舟運で江戸まで輸送していたがその後房総半島経由で江戸までの航路と潮来まで海船で運び川船に積み替えて江戸までの航路ができ2つを併用するようになった。
 しかし江戸時代は「漂流の時代」。日本国内の船乗りたちは航行中に遭難する可能性があり場合によっては外国まで流れ着く場合もあった。記録だけでも341件、実際にはその何倍も。閖上湊関係者も漂流を体験している。閖上湊の大乗丸はベトナムまで漂流し中国を経由して帰国したことは多くの記録に残されている。
 また閖上湊の「太郎丸」は仙台藩の廻米800石を積み江戸に向かっていたところ朝鮮半島に漂着した。(朝鮮征伐のため)伊達政宗が朝鮮半島釜山に布陣したのは文禄2年(1593年)4月、9月には帰国。政宗公は秀吉に「(太郎丸を)領内から呼び寄せた」と報告し秀吉がおおいに喜んだとの伝承がある。史実かどうかは不明だが史実であればこの時期の出来事。
 羅針盤も動力もない風任せの航行。危険と隣合わせだったのですね。
 江戸期の舟運という物流の大動脈の視点から仙台藩や閖上湊を考える素晴らし内容でした。

事務局から

貞山運河ネット事務局担当
中條美希

 2023年度より貞山運河ネット事務局で事務を担当させていただいております中條美希と申します。貞山運河ネットでのさまざまな活動やイベントをサポートさせていただく中で、貞山運河の歴史触れ、貞山運河の奥深さを知ることができました。 事務局として皆様と一緒に貞山運河を盛り上げていければと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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