第51号
北上川・みやぎの運河群パネル展開催
石巻市かわまち交流 センター(かわべい) 【石巻市中央二丁目11番12号】では今、北上川・みやぎの運河展を開催しています。7月26日(日)まで。
向かいには石ノ森漫画館も見える海と川の結節点にある会場には20日三々五々隣接する元気市場や漫画館を訪れた人々が足を運んでいました。
政宗公が開いた貞山運河の歴史のパネルには興味深げに眺め入る人々の姿が見られました。

貞山運河のパネルは当会が提供したものです。
主催したNPO法人のひたかみ水の里代表の新井高広さんは「石巻の方は北上川をふるさとの川として、また北上運河も歴史ある運河として親しんでいます。
展示している貞山運河は遠いこともあって石巻の皆さんにはなじみの薄い存在かもしれません。
しかし貞山運河と北上運河・東名運河は水の道として繋がっています。

伊達政宗は仙台の城と町をつくるため運河開削を命じ、新田開発と物資輸送のため北上川改修を命じました。
これらにより仙台の町づくりが行われ同時に石高は増えました。
貞山運河の木曳堀と北上川改修は政宗の思いと戦略でつながっているのです。
また普段見慣れているおだやかな北上川もダムや上流地域の方々に守られていることもご覧いただきたいと思います」。

報告 「政宗の米運びプロジェクト」 「北上川から江戸へ ― 廻米航路復活事業 一粒のコメに思いを乗せて」関東・東京出張報告
みやぎのコメを東京まで運ぶイベント。本年度は調査の年です。このイベントは藩政時代初期の仙台藩の江戸へのコメ運びのルートをたどり東京まで水の道でコメを運ぶものです。

コメ運びのルートは上図の通り登米市→石巻市→(みやぎの運河群)→阿武隈川→亘理町→(海路)→千葉県銚子→(利根川遡上)→流山市→(利根運河)→江戸川→荒川→隅田川→上陸を計画しています。
7月13日から15日まで共催のひたかみ水の里新井代表とともに流山市や国土交通省,諸団体との折衝、利根川、江戸川などを視察してきました。
千葉県流山市では流山本町・利根運河ツーリズム推進課を訪ねました。
同市の利根運河は観光の目玉となっています。
藩政時代初期には江戸に向かう仙台藩のコメは銚子から利根川をさかのぼり、この少し上流の利根川と江戸川の結節点である関宿から江戸川を下り江戸に運送したそうです。

同課では本イベントにご協力の旨いただきました。流山市は昔から白みりんが特産品です。
同市でコメのイベントを行う予定ですがみやぎのコメと白みりんを使っておにぎりを振舞ったら面白いですね、などのアイディアが出されました。
また国交省関係や諸団体の折衝では銚子から利根川、江戸川、荒川、隅田川はゴムボートで入れば航行可能であることや江戸川に砂州はなくスムーズに行けることが確認されました。
銚子から利根川沿川の佐原(香取市)まで40キロ、そこから利根運河までは60キロですが利根川では自由にドローンを飛ばせることも確認できました。実りある出張でした。

一口メモ 登米から仙台までのコメの運送経路
藩政時代仙台藩の豊かな穀倉地帯であった登米地方のコメはどのようにして仙台まで運ばれたのでしょうか。
当時の大量輸送手段は舟運です。仙台藩でも水の道を使いました。コメは北上川を通り石巻まで、一旦米蔵に納められたあと積み替えられ海路で塩竈へ。塩竈からは四代藩主綱村の時に開削された御舟入堀を通り蒲生まで。蒲生から七北田川を遡上し鶴巻へ、さらに御舟曳堀を経て苦竹近辺で上陸し、原町の米蔵までは牛車で運ばれたと言います。そのたびに積み替える労力を考えればコメを運ぶというのは大変な作業だったことが偲ばれます。
このほかに仙台へは内陸から馬や人足によって運ばれることもあったようです。
仙台藩のコメは年貢米としての藩の財政基盤であるだけでなく、武士への給与でもあり、江戸などで販売することでの商品の性格も持ち、飢饉対策の備蓄品、庶民にとっての食糧供給、分配を通して社会を統制する手段にもなります。現代でもコメは重要ですが藩政時代はより重要なものだったのですね。
仙台藩は年貢だけでなく市場からコメを買い上げて調整する買米制度をとっていました。
この制度で米価を安定させたり、江戸で売却するコメを確保したり、財政を強化させたり、飢饉対策を行ったりしました。
そのような性格を持ったコメの輸送はとても大事でした。
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